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■ スロバキアの祝日、行事、慣習、記念日  2003年記す
▼復活際 ▼葬式 ▼結婚 ▼メーデー ▼解放記念日 ▼母の日 ▼パンカーツ、セルヴァ―ツ、ボニファーツ
 ▼チリルとメトダ ▼国民蜂起の日 ▼憲法記念日 ▼聖母マリアの日 ▼チェコスロバキア独立記念日 ▼お墓参り
▼改革記念日 ▼クリスマス ▼大晦日、新年 ▼スロバキア独立記念日 ▼3人の学者

● 復活祭:
2003年は4月17〜21日
Velkanoc
◆ キリストの復活を祝う祭りですが、これで春が来たな〜と実感させる行事です。
木曜日: 緑の木曜日といって、緑のほうれん草を食べます。
金曜日: 大きな金曜日といいます。この期間は肉食はしません。(敬虔なる信者)
土曜日: 名称なし。他があって何で?
日曜日: 大きな日曜日と称します。
月曜日: 大きな夜の月曜日と呼ばれています。(Velkonocny pondelok)
 この月曜日が一般の人々がする一番の行事です。
朝〜!と鶏が鳴く前からでも後からでも女性が寝ていようがいまいがお構いなし!
老若関係なし、大小容量なんでもよし、男性が水をぶっ掛けます。女性は怒らない事になっています。(但し、よりけりで、相手の女性をよく見る必要があるのではないかと私は今だ思う)
次に香水を頭に振り掛けて上げます。女性はありがとうと言うはずです。
お母さんは、前日から用意してあるハム、ゆで卵に西洋わさびを付けて、パン、お酒を勧めます。男の子は卵型のお菓子やお小遣いを貰える。それで一息ついた男共は正装をして水、香水を持って次なる親戚の女性、女友達と巡回して行くのであります。
主な飾付けは、テーブルの上に色々な模様を描いた卵を籠に入れて置きます。
これは、大体午前中に終わります。だから、午前中は赤い顔をした男達だけが連立って外を徘徊するという一風変った風景です。特に若い女性のいる家では玄関先は水浸し、物干しはカラフルな洋服がオンパレードトなります。
次の日には、女性が柳の枝で作った鞭でお返しにバシバシとやるところもあるようです。
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● お葬式:ああpohrebaaaああああa
 偶々、義父の墓掃除に行くと葬式に出合いました。早々からこの話題では気が引けますが、これも現実社会ですから一つどんなものか一般的なのを簡単に紹介しましょう。
 大体、亡くなったら病院か専門の冷蔵室に収容されます。葬儀の段取りは葬儀社に依頼し、葬儀場所は大体墓場と直結していて予定時間に行くと準備が出来ています。だから、亡くなってから対面するのはこのときが始めてとなります。冷蔵場所に行けば対面可能のよう。
 セレモニーは、それぞれの牧師さんの説教から始まり聞いているだけです。先日、遭遇したのは牧師さんではなく、一人の普通の女性が取仕切っていました。多分、無宗教の人だったのでしょう。ここには元社会主義国なのでそういう人は結構います。その後は、埋葬場所まで棺を先頭に厳かに移動、そこでもちょっとセレモニーがあり、直ぐに一気に埋められ、その間、人々は誰も引揚げず見ています。それがかなり深い穴で、棺を下すのも埋めるのも作業人は2人だけ、僅か数分でこなし感動的作業です。葬儀開始から終了まで1時間もなし、日本の仏式葬儀からすると実にあっけないです。
その後は、親戚家族が会食、久し振りに会う親戚もあり、飲み会に続きます

 この国は大体は土葬ですから都市部では墓地不足で、古いところはそれこそ足の踏み場もないくらい密着しており、管理費の払われていないお墓は売買されます。数年前に新しく郊外に設置されましたが、そこも直ぐに一杯になりそうな雰囲気です。
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● 結婚式:   Svadbaあああああああ 
 最近は、晩婚が増えて社会主義時代に沢山いた16〜7歳で結婚、30代でもう孫が出来ておばあちゃんになったという話を聞かなくなりました。若い人の結婚の考え方が変ったり、新夫婦に住む場所がないなど経済的理由等々、
 セレモニー場所:教会、市役所、社会主義時代は市役所のみで、信者はその後に教会に行って儀式をしていましたが、自由化後は教会だけでも済むようになりました。日時:勿論、大概は土曜日
☆彡 車はウエディングドレス人形をボディの上に、白テープをボディの前からそれぞれの左右のドアに渡した飾りを付け、他の車はテープのみ飾りを付け、自宅から連なって式場に向かう。
花嫁はウェディングドレス(最近は貸衣装屋さんがある)、花婿は普通のスーツに胸に飾りの造花、招待者は何かの植物に結んだ小さなリボンが一般的。大体はコンビで招待されます。
教会での式は、何の意味か分からなく立ったり座ったりというのが印象。自分から教会に入ることはないので、あちこちを興味深げに頭を動かさないで眺めているのです。
式が終わると、早速宴会場に移動、先ずは花嫁が入口で皿を割ってそれを花婿が箒とちり取で掃除から始まります。
席に付くと先ずは腹ごしらえ、それから、生バンドかディスコで音楽が始まり、大体は地元の音楽か流行りの音楽が交互に演奏されます。この一般的民俗音楽のダンスは一般的ワルツとステップが同じですが、これを日本人が覚えるにはちょっと時間が掛かるようです。覚えてしまえばどんなテンポのでも踊れます。ワルツが平面の流れのようと表現すれば、ここのは、それに体上下に動かしてリズムを大きくとります。ディスコ音楽はパス。
贅沢な方の宴会ではやたらと料理が運ばれて来ます。それも脂濃いのばかりで閉口。
質素な方は、小さなレストランを借りて自宅で作った酒、ケーキとささやかですが、お酒さえ入って民俗音楽で踊っていれば満足である。
これが朝方まで延々と続くのですが、さすがは体格がある分タフな事この上ないです。
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●5月1日    メーデー aaaaaa
Prace
世界的労働者の日、休日です。日本のカレンダーを見ると日本は休日ではないのですね。
かつては、各地で大変盛大なお祭り騒ぎでありました。郊外の会社からもバスを連ねて中心部まで人々がやってきて特設の党のお偉方が居並ぶひな壇の前を旗を振りながら行進、通り過ぎると解散、ーと、まあそれだけでのやらせでしたが、午後からは休日。労働者(党)の重要な行事ということでした。
今年は一部で政府に対しての不満集会が数カ所。一般的には家族を伴ってのお祭りのようなものがありました。今回、国会に返り咲いた共産党が二ヶ所でメーデーらしい集会を開きましたが、集まったのは数百人程度、人気ないですね。

それと、スロバキアらしい行事を、五月に入ると前の晩から朝方までに、男性が好きな女性の家の前に棒を立てるという習慣が始まります。早速、村の方で一本見かけました。(風物画そのBを参照)木といっても真直ぐ伸びた原木(白樺が多い)の上の方だけを残し、下の方は綺麗に枝払いをして、残った枝に飾りが付けてあります。どういう言われか知りません。最近は余りやらないとかで、村とか町が代わって大きなのを作って中心部に立てる所もあるようです。

それから、今年初めて知ったのですが、多分、最近の外来じゃないかと思いますが、
五月一日は、桜の日とかで、桜の木の下でキスをすると女性が甘く淑やかになり、それが長く続くのだそうです。やってました。やってました。(シカと見ました。わざわざ見に行ったのではありませんぞ!)
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解放
記念日
a 5月8日 
Den vitazstva nad fasizmom
ナチ・ドイツからの解放日、社会主義時代なら大々的な反ファシズムの宣伝活動があるところなのですが、今はもう何もありません。
今年は、反ファシズムの集会、デモ行進が若者を中心にありました。会場は大きな公園でコンサートなど、パンク頭の若者がいたり、さすがは暑いだけに迷彩服姿は見ませんでした。
チェコでは、ナチスト、フーリガン、ラッシスト対策に千数百人の専門警察官がいますが、スロバキアは担当警察官がたったの10人だということです。私も有色人種の外国人ですから気になるところです。
次の日のニュースによると何とこの集会の参加者同士で騒動があり、救急車まで来たということです。これならファシストの集会と同じじゃない。
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母の日
 5月11日  
Den Matiek 
世界共通にある日ですが、こちらでもお母さんにお花をプレゼントします。ああああああ5月の2週目の日曜日

Pankac、Servac、Bonifac
5月12、13、14日
パンカーツ、セルヴァ―ツ、ボニファーツと続けて呼びます。
これは12,13,14日の名前の日からです。
3人の凍り男達とでも訳しましょうか。そうも呼ばれています。
この3日間に、水が凍る程に気温が下がるといういわれがあります。
今年は13日早朝に凄い雷と雨で気温も低下しましたが、氷が出来るほどの寒さではありませんでした。


Cyril と Metod
7月5日祝日

東ローマ人の公務員の父を持つ兄弟のチリルとメトダが873年大モラバ時代のスロバキアにやってきて古いスロバン文字を作ったとされています。
彼らは大ギリシャ文字から聖書などの宗教書をスロバンに翻訳、また著作、宗教者の教育もしています。それを記念した日です。
彼らの銅像の画像は風物画そのAにあります。


●国民蜂起の日
 8月29 祝日
Vyrocie SNP(1944)aaaa aaaaaa
1944年8月29日にスロバキアがナチスドイツに対して武装蜂起を開始した日です。
準備は1943年からそれぞれのグループで始まっており、この日に中部スロバキアのBanska BystricaとZvolenでGlian将軍の率いるスロバキア軍六万人、飛行機15機によりドイツ軍に攻撃を仕掛け本格的戦闘が起こりましたが、結局、スロバキア軍はドイツ軍に制圧され、軍による反撃は収束、代ってパルチザンンよる戦闘はずっと継続していました。
この日は、Banska Bystricaの記念館で行事が行なわれます。以前は共産党による絶好のプロパガンダの機会で大々的に記念行事が行なわれていましたが、現在ではこの祝日が何の日であるか知らない人が多くなりました。 


●憲法記念日
 9月1日 祝日
Den Ustavy SR

行事は何もないのです。


●聖母マリアの日
 9月15日
あddddっ
Sedemboestna Pnna Maria

Sedembolestna Panna Maria(直訳:7つの痛みの処女マリア)ですが、日本語に訳すと聖母マリアの日となるようです。
イエス・キリストが7つの痛みを経験した事に由来する様です。


●チェコスロバキア独立記念日
 10月28日

第1時大戦までチェコもスロバキアもオーストリア・ハンガリー帝国の一部でしたが、帝国の崩壊により、チェコ、モラバ、スロバキアが歴史上始めて一緒になり共和国となりました。
チェコスロバキア時代は国民休日でしたが、現在、チェコでは休日で記念行事がありますが、スロバキアでは何もありません。

●お墓参り
 11月1日
Vsetkkych Svatych

日本のお盆のようなもので近い親族のお墓にお参り行く日です。この日に年に一回故郷に帰る人もあります。大体が一日の夕方がピークですが、その日の前後の他の日に行く人もいます。
お墓には蝋燭と花輪などを持って行き添えます。この日に限って墓地は繁華街並の賑わいで夕闇にもなると一面に蝋燭が灯って一種異様なというか見方によれば綺麗ともいえます。大概は、知人に会ったりするのです。毎回聞く噂が墓に添えてある花輪などを盗って来て入口なんかで売っているのがいるというのです。今年もその話で実際なくなったようです。
今回も駐車場は一杯、三々五々出掛けているという感じです。日本のような陰気さはなく、蝋燭だけなので臭くもなく家族みんなでピクニック気分もありますね。
実は義父がなくなって1年くらいで新しい墓地には随分新しい土盛が一杯です。叉、隣接部に新しく造成されています。このまま行くと何処もでも墓地になってしまいそうですね。

●改革記念日
11月17日

Den boja za slovodu a demokraciu
これに関しては全然何の行事もありません。
1989年11月17日にブラチスラバから共産主義政権に対して自由化を要求してデモが始まりました。翌日、プラハでもデモが始まりました。
警察が棍棒を持って鎮圧に出動して暴力を振るっていますが、時代の流れに逆流もせず結局はフサーク大統領をトップとする共産政権は倒れました。
それを引継いだのが民主政権の前チェコ大統領のハベルでした。
今年からこれを記念して休日となりましたが、若い人達の間では何の休日なのか知らないという様に既に風化が始まっています。

●クリスマス  
12月24〜26日
Vianoceああああ          ああああああああああ

大概、クリスマスには雪があるのですが、今年は全然なくちょっと雰囲気がでませんでした。その代り急に冷え込みました。2003年
この国は、ほんのこの前まで、社会主義国でしたから、キリスト教信者でない人も一杯いますが、この日だけはそんなのに関係なく100%近い人達はこの行事をするようですね。でも、テレビでアンケートをしていたのを見たら、この日がなんでお祝いをするのか知らない若者が何人もいるんですよね〜。どうなってんでしょう。
ここでも例外にもれずクリスマスツリーを飾ります。一般家庭では一週間くらい前からそろそろ飾り付けが始まります。昔は松の生木が殆でしたが、値段が高くなったのと一回きりの使い捨てですから今はプラスチックのが主流です。飾り付けは銀紙に包まれたチョコレート、ガラス玉、豆電球が中心で他にも色々と好みで飾ります。街中の10m以上の大きな原木のは一ヶ月前から据え付けてそろそろクリスマスだよと雰囲気をあおっている感じですね。商店の売上も年間で一番です。
メイン料理の鯉も1〜2週間前からあちこちで売り始めてこの時期の風物の一つです。今年は1kgが100skちょっと、うちでは105skのを買いました。この鯉を捌くのがなかなか大変で毎年格闘をしています。
☆彡一般的例:24日は朝食後は昼食をとりません。また、この日は豚牛肉食を控えます。
夕暮れ時の4〜5時頃から食事が始まりまが、先ずはお祈り(この日ばかりは普段教会に行きもしない、また、信者でもない人まで多分お祈りをしているんじゃないかと思えます)
ロパトキィ−(どう書くのかな)というのがあって、砂糖、小麦粉、卵、水の材料で作った薄く同じ形に焼いたものでこれを蜂蜜を付けたりしてして食べます。これもクリスマスの付物です。
プレゼントは、ツリーの下に置いておきます。
さて、それから乾杯してスープに移ります。家庭によって酢キャベツとレンズ豆のとで違うようです。東の方は酢キャベツスープとか聞きますが、大勢はこちらの方でしょうか。
メイン料理は、鯉のフライとポテトサラダ(小さいサイコロ状のジャガイモを主にグリーンピース、人参、ピックルス、等の野菜、マカロニでマヨネーズと水で混ぜ合せ)
この時ばかりは食事のサービス(ウェーターの役目)を一家の主人がするようになっているようです。このとき踏ん反り返っている女性を見てむっとしている男性方も多いのではないかな。
鯉は小骨が多いので、手で取って食べても無礼ではなく、もうもう、両手を油だらけにして細かく千切ってちょぼちょぼ食べるのには・・・です。日本人は、これだけはスロバキア人に負けることなく間違いなく余裕でもって3倍以上の早さで食べれそうです。
食後は、楽しみのプレゼントが待っています。
〜とまあ、クリスマスは家族のみで静かに過ごすのがごく普通の家庭です。

●大晦日と新年
12月31日〜1月1日
Silvester a Novy rokあああああああああああああああああああああああああああ ああああああ
大晦日は、クリスマスとは打って変って大騒ぎをするのが普通です。
大概のレストランで大晦日の夕方から新年の朝方までバンドが入ってダンスパーティー、ディスコパティーが開かれますので、前売り券を買っておいて行く人も多いです。
或いは、友人家族で寄集って騒ぐか、街の中心部で野外ディスコもあります。
用意される料理は、大体が叉もに酢キャベツのスープ、良い所の脂身の少ない豚肉を紐で縛って茹でたハムを西洋わさびと食べます。
★0時には、シャンパンを用意をして準備、時間と同時くらいに開けて乾杯、皆とお互いに「おめでとう」と握手にキッス(男性同士は、ここではしません。その場合は、ちょっとそっち関係者かな)新しい年の幸運を祈る。とか 新年おめでとう。 新年の幸運と健康を、などなど。
その後が、子供達が特に待ちに待った花火打上げ大会が始まります。(12月に入るとぼちぼち花火を商店で売り始め、商店も商売で子供にも売るんでしょ。あちこちから、バンッー!バン!と鳴り始めるので叉クリスマス、大晦日も近いなと感じるのです)
毎年、豪華に派手になって1時間ぐらいは鳴っているでしょうか。大砲を引いて来たんじゃないかというような物凄い音と振動を出すのまであります。うちの犬なんてパニックってます。
お金が無いないと言いながら、皆さん、こんなのにお金を掛けてんですね〜。これが、1本何十skと結構な御値段なんです。
▼家庭では、0時までテレビを見たりしながら時間が来るのを待っていますが、このテレビ番組がどうもパっとしませんね。各局が自作ですが、売れっ子の同じ人物が同じ時間にあちこちに出ているのです。特にこの時期は、チェコ人とスロバキア人のタレントはごっちゃ混ぜです。普段もそうですが、歌っていてもプレイバックで口を動かしているだけ。ひょっとしたらカウトダウンも前もっての録画かもしれないですね。何だか騙せれている感じです。これだから、普段から外国の番組に押されるんでしょうか。


●スロバキア独立記念日
  1月1日 
Den vzniku SR

1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立したのを記念しています。
 元旦に隠れて目立ちませんが、首都で軍が祝砲を鳴らしています。

●3人の学者
  1月6日
Traja kraliああああああ
イエス・キリストが誕生し、3人の星占いの学者がベツレヘムにやって来た記念日で休日です。
町部では特に何も表立って何もありませんが、敬虔な信者は教会へお祈りに出掛ける様です。
村によっては、子供達が3人で王冠とマントを被り杖を持って家々を回り歌い、御祝いをします。
ロシア正教では、今日がクリスマスで、ツリーを飾りお祝いをします。カトリックの様に鯉は食べないようです。信者は、ウクライナ寄りの東スロバキアを中心に国内8万人。

  つづく〜
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